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2025.10.28

【社労士徹底解説】従業員の交通事故、使うべきは労災?自賠責? 経営者が知らない「診療単価」と「特別支給金」が受取額を増やす鍵

経営者の皆様、日々の事業運営、誠にお疲れ様です。どれほど安全運転教育を徹底していても、従業員が業務中や通勤途中に交通事故に巻き込まれてしまうリスクは、残念ながらゼロにはできません。その万が一の際、御社ではどのような対応フローを定めていますか。

「交通事故なのだから、加害者の自動車保険(任意保険)に任せるのが筋だ」「労災を使うと手続きが面倒だし、保険料が上がるのではないか」このように考え、従業員に「相手方の保険会社と話してくれ」とだけ伝え、労災保険の利用を積極的に勧めないケースが散見されます。

しかし、その判断が、従業員が本来受け取れるはずの補償を大幅に減らしてしまうだけでなく、会社の法的リスクを高める可能性があることをご存知でしょうか。

結論から申し上げますと、業務中・通勤中の交通事故においては、労災保険を最優先で利用(先行利用)し、自賠責保険・任意保険と併用することが、従業員にとって最も有利な選択となります。

本コラムでは、経営者として必ず知っておくべき、交通事故に関わる「労災保険」「自賠責保険」「任意保険」という3つの制度の役割と、従業員の過失が30%という典型的なケースで、なぜ労災利用が従業員の最終的な受取額を増やすのか、そのカラクリをシミュレーションで徹底解説します。

第1章:シミュレーション前提条件

比較を分かりやすくするため、以下の前提条件を設定します。従業員の過失割合は30%(被害者側の過失)、治療内容は10万点(同じ治療内容と仮定)、休業損害は100万円(100%の金額)、慰謝料は50万円(過失相殺前の満額)とします。

第2章:任意保険(加害者側)のみで対応した場合(労災を使わない)

従業員が労災を使わず、加害者側の任意保険会社とすべて示談交渉(一括対応)するケースです。この場合、治療費は「自由診療」扱いとなり、1点あたり20円程度(医療機関により15円~25円程度の幅があります)で計算されます。ここでは一般的な20円で計算します。

損害額の算定(加害者側保険会社の計算)では、治療費が10万点×20円(自由診療)で200万円、休業損害が100万円、慰謝料が50万円となり、損害総額(満額)は350万円となります。

従業員(被害者)に30%の過失があるため、加害者側が支払うのは損害総額の70%です。保険会社が支払う総額は350万円×70%で245万円となります。

保険会社は、支払総額(245万円)から、まず立て替えて病院に支払っていた治療費(200万円)を差し引きます。手取り額は支払総額245万円から治療費200万円を引いた45万円となります。

従業員の手元に残るお金(休業損害と慰謝料の充当分)は45万円です。高額な治療費(200万円)の30%(60万円)を、従業員が実質的に負担させられた(本来もらえる休業損害や慰謝料から引かれた)ことが、手取り額が大幅に減った最大の原因です。

第3章:労災保険を先行利用した場合

従業員がまず労災保険を利用し、労災でカバーされない部分(慰謝料など)を加害者側の任意保険に請求するケースです。この場合、治療費は「労災診療」扱いとなり、1点あたり12円(課税医療機関の場合。非課税医療機関は11.5円)で計算されます。

ステップ1:従業員が労災保険から受け取る金額

労災保険には過失相殺がないため、過失30%に関係なく満額が支給されます。

治療費は10万点×12円(労災診療・課税医療機関)で120万円となり、労災保険が医療機関に全額(120万円)を支払います。従業員の自己負担は0円です。

休業補償については、労災から休業(補償)給付(60%)と休業特別支給金(20%)が支給されます。休業給付(60%)は100万円×60%で60万円、休業特別支給金(20%)は100万円×20%で20万円となり、従業員が労災から受け取る現金は合計80万円となります。

ステップ2:従業員が加害者側(任意保険)に請求し、受け取る金額

次に、労災から支給されなかった損害(慰謝料など)について、加害者側に請求します。

請求する損害は、休業損害の不足分として100万円のうち労災の給付(60%)でカバーされなかった分の40万円(特別支給金20%は福祉的なもので損害補填とはみなされず、差し引く必要がありません)と、慰謝料50万円で、加害者側に請求する総額は90万円となります。

この90万円の請求に対し、過失相殺(30%)が適用され、従業員が受け取る示談金は90万円×70%で63万円となります。

ステップ3:労災から加害者側への求償

従業員の手取り計算とは直接関係ありませんが、裏側では、労災保険(国)がステップ1で立て替えた費用(治療費120万円+休業給付60万円=180万円)について、加害者側(任意保険)に70%分(126万円)を請求(求償)します。この求償の際にも、特別支給金(20万円)は対象外となります。

ステップ4:従業員の最終手取り額(合計)

最終手取り額はステップ1(労災から)の80万円とステップ2(示談金)の63万円を合わせた143万円となります。

労災を先行利用した場合、従業員の手元に残るお金は143万円となります。

第4章:なぜ手取り額に98万円もの差が生まれるのか

任意保険のみの場合の最終手取り額は45万円、労災保険を先行した場合は143万円となり、その差額は98万円にもなります。

シミュレーションの結果、労災保険を先行利用した方が、最終的な手取り額が98万円も多くなるという結果になりました。その理由は、以下の3点です。

1. 診療単価(20円対12円)の違いが手取り枠を圧迫する

これが最大の理由です。任意保険のみの場合では、治療費が20円程度で計算され200万円と高額になります。従業員は、この高額な治療費に対しても30%の過失負担(60万円)を示談金計算上で負わなければなりません。この60万円が、本来もらえるはずだった慰謝料や休業損害の枠を直接圧迫し、食いつぶしてしまったため、手取りが45万円に激減しました。

労災先行の場合では、治療費が12円で計算され120万円に下がります。さらに重要なのは、この治療費120万円は労災が過失相殺なしで全額支払うため、従業員は治療費に対する過失負担(120万円の30%=36万円)を一切負わずに済みます。

治療費の過失負担分(任意保険のみなら60万円)が丸ごと消滅(正確には労災が肩代わり)するため、任意保険に対しては慰謝料と休業損害の不足分の枠が守られ、その結果、手取り額が大幅に増えるのです。

2. 労災は休業補償にも過失相殺をしない

任意保険のみの場合では、休業損害100万円に対しても30%(30万円)が引かれました。労災先行の場合では、労災から過失に関係なく80%(80万円)が満額支給されました。この時点で、すでに大きな差がついています。

3. 特別支給金(20%)の存在

労災先行の場合で労災から支給された休業特別支給金(20万円)は、加害者側との示談交渉(ステップ2)や、裏側の求償(ステップ3)のどちらにおいても差し引かれない(求償対象外)ため、純粋なプラスアルファとして従業員の手元に丸ごと残ります。

第5章:経営者としての正しい対応とリスク管理

従業員にとってのメリットは明確です。では、経営者の皆様が懸念される点について説明いたします。

1. 労災保険料(メリット制)について

通勤災害については、何件発生し、いくら保険給付が使われても、御社の労災保険料は一切上がりません。通勤災害は、事業主の管理下で発生するものではないため、保険料の増減(メリット制)の対象から明確に除外されています。

業務災害については、確かに、一定規模以上(常時100人以上など)の事業場では、業務災害の給付額が増えれば将来の保険料が上がる(メリット制が適用される)可能性があります。

ただし、従業員の正当な権利を守ることは、企業の社会的責任として重要です。適切な労災保険の活用は、従業員の福利厚生の観点からも推奨される対応です。

2. 適切な労災手続きの重要性

労災保険の適用事案において、正当な理由なく労災保険の手続きを行わない場合、意図せずとも「労災隠し」と判断される可能性があります。これは労働安全衛生法に抵触する恐れがあり、行政指導や罰則の対象となる場合があります。経営者の皆様には、適切な判断基準を持って、法令に則った対応をしていただくことが重要です。

労災保険の適切な活用は、従業員との信頼関係を維持し、健全な労使関係を構築する上でも大切な要素となります。

3. 経営者のメリット

従業員の早期復帰という点では、従業員は過失相殺や治療費の心配をせず、安心して治療に専念できます。これは早期の職場復帰に繋がります。

コンプライアンスの徹底という観点からは、法令を遵守し、従業員を適切に保護する姿勢は、企業の社会的信頼(CSR)と従業員エンゲージメントの向上に寄与します。

リスクヘッジとしては、万が一、事故の原因に会社の管理体制(例えば過重労働による居眠り、整備不良の社用車)が関与していた場合、会社は従業員から安全配慮義務違反として直接損害賠償(慰謝料など)を請求される可能性があります。労災保険を適切に利用することは、こうした二次的紛争を防ぐ重要な対策となります。

第6章:まとめ 迷ったら、まず社労士へ

従業員が交通事故に遭った際、経営者が取るべき最善の行動は、まずは労災保険の手続き(第三者行為災害届)を速やかに進めることです。

「治療費単価の違い」や「特別支給金の非調整」といった専門的な知識を知らないまま自動車保険会社任せにしてしまうと、従業員は本来得られるはずだった多額の補償を失うことになりかねません。

交通事故の労災手続きは、自賠責・任意保険との求償調整が非常に複雑で、専門的な知識が要求されます。判断に迷われた際は、必ず顧問の社会保険労務士にご相談ください。御社のリスクを最小限にし、従業員の利益を最大化する、最適な対応をご提案いたします。